愛洲の里
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[地図表示] 竹林に囲まれた小高い丘の上にある、南北朝から戦国時代にかけて活躍した伊勢の豪族、愛洲氏の居城である五ヶ所城址を中心に整備された公園で、剣道の影流の祖である愛洲移香斎や剣道にちなんだ資料や郷土の歴史の資料が展示されている愛洲の館や水車が回る庭園のある茶店などがある。
この地に伝わる民話の中には牛鬼伝説に関する話がある。民話の内容はこういったものだった。
五ヶ所城址のある五ヶ所浦の切間の谷には一つのほら穴がある。
また、城跡の近くには愛洲一族の墓が並び戦国の哀愁漂う愛洲一族の塔頭がある。ここに牛鬼という変わったものが住んでいた。首から上は牛の頭をし、人間のようにものを言い、一日に千里も走る通力を持った強鬼だったという。
この牛鬼は、よく西山にでてきて、五ヶ所城の殿様(愛洲重明公)が城中で弓の稽古をするのを眺めていた。ところが、弓自慢の殿様が、あろうことか、ある日その矢を牛鬼めがけて放してしまった。矢は牛鬼の胸元へ当たり、牛鬼は西山の下の畑へ真っ逆さまに転げ落ちた。
このときの牛鬼の泣き声はすさまじく、その上、真黒な煙がもうもうと立ち上がった。この煙にむせんだ城主の奥方は毒気にあてられ治らぬ難病を患うことになった。このため、親元の北畠家へ養生という口実で帰され、あとから離縁を申し送られ、奥方はそれを悲しんで自害してしまった。
この非道を怒った北畠家は、ついに軍を起こし、とうとう愛洲家は滅亡してしまった。この牛鬼というのは、もともと五ヶ所城の主だったそうで、死に際に、「自分を助けておけば、この城は末永く繁栄するものを」と言い残したという。西山の下の「ウシマロビ」という地は、この牛鬼の転げ落ちた地といわれている。
以上は、江戸時代の「勢摩軍記」による。
なお、愛洲の里にある五ヶ所城址の近くには「愛洲一族の塔頭」という愛洲一族の墓が並び戦国の哀愁が漂う。
この地に伝わる民話の中には牛鬼伝説に関する話がある。民話の内容はこういったものだった。
五ヶ所城址のある五ヶ所浦の切間の谷には一つのほら穴がある。
また、城跡の近くには愛洲一族の墓が並び戦国の哀愁漂う愛洲一族の塔頭がある。ここに牛鬼という変わったものが住んでいた。首から上は牛の頭をし、人間のようにものを言い、一日に千里も走る通力を持った強鬼だったという。
この牛鬼は、よく西山にでてきて、五ヶ所城の殿様(愛洲重明公)が城中で弓の稽古をするのを眺めていた。ところが、弓自慢の殿様が、あろうことか、ある日その矢を牛鬼めがけて放してしまった。矢は牛鬼の胸元へ当たり、牛鬼は西山の下の畑へ真っ逆さまに転げ落ちた。
このときの牛鬼の泣き声はすさまじく、その上、真黒な煙がもうもうと立ち上がった。この煙にむせんだ城主の奥方は毒気にあてられ治らぬ難病を患うことになった。このため、親元の北畠家へ養生という口実で帰され、あとから離縁を申し送られ、奥方はそれを悲しんで自害してしまった。
この非道を怒った北畠家は、ついに軍を起こし、とうとう愛洲家は滅亡してしまった。この牛鬼というのは、もともと五ヶ所城の主だったそうで、死に際に、「自分を助けておけば、この城は末永く繁栄するものを」と言い残したという。西山の下の「ウシマロビ」という地は、この牛鬼の転げ落ちた地といわれている。
以上は、江戸時代の「勢摩軍記」による。
なお、愛洲の里にある五ヶ所城址の近くには「愛洲一族の塔頭」という愛洲一族の墓が並び戦国の哀愁が漂う。
( 名所・史跡 )
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| 住所 | 南伊勢町五ヶ所浦 |



